『データサイエンティスト列伝 ~偉大な先輩に聴く~』 第一回 川村秀憲 教授(3/4)

2019.04.02

北海道大学大学院情報科学研究科の川村秀憲教授へのインタビュー第三弾。今回は、人間とAIのつき合い方についてうかがいました。

前回記事はこちら

『データサイエンティスト列伝 ~偉大な先輩に聴く~』 第一回 川村秀憲 教授(1/4)

『データサイエンティスト列伝 ~偉大な先輩に聴く~』 第一回 川村秀憲 教授(2/4) 


『来るべきAI社会、人間はもっともっと優秀になるべきです。』

 

Q: 人間の仕事がAIに取って代わられるという不安が社会には漫然とあります。具体的には、どのような職業がなくなっていくのでしょうか?

よく、「なくなる職業」という言葉が使われるのですが、正確には「なくなる仕事」だと思うんです。

様々な細かい仕事の総体として職業があると考えてみると、職業を構成する仕事の中にはAIで置き換えられるものは現実にたくさん出てきており、今後そういう仕事はやはりAIがやっていくことになると思います。

例えば今、計算問題をするのに人間がソロバンを使ってやるということは仕事としてなくなりつつあるわけですよね。ちょっとした問題であれば電卓でやるし、それが大規模になればコンピューターがやってくれるわけですから。

しかし仕事の中には、「人間でなければできない」とか「あえてAIでやる必要がない」というものも確実にありますので、そういうところに私たち人間はもっとパワーを使っていくべきだと思います。

そう考えると、「その職業が必要か不要か」であるとか、「AIと置き換わるかどうか」という単純な話ではないと思えますね。

 

Q:もう少し詳しく聞かせてください。例えば、「文章を書く」といった作業はAIで置き換えられますか?

文章を書くといった仕事について言うならば、それはYesでもありNoでもあると思います。

私たちの研究室ではディープラーニング・ベースで俳句を作らせる試みをしているのですが、それは過去に出てきた俳句を学習して、言葉の中でも《もっともらしい》というか《ありそう》なものを繋げて俳句を作る仕組みになっているんです。一方で人間が文章を作る場合は、先に《伝えたいもの》があってそれを言葉にするようなプロセスになります。つまり、人間は自分の人生観のような《抽象度の高いもの》を言葉に置き換えることをしているわけですね。そして、短い言葉の中から読者に様々なことを想起させて感銘を与えるわけですが、そのような「すぐれた名文」が今すぐAIに作れるかというと、それはまず無理だと思います。人間との比較で言えば、今のAIには《何か伝えたいこと》があって表現することはできません。そもそも《伝えたいもの》が存在しないわけですから、《深いもの》は作れないんです。

しかし、AIは莫大な数をこなすことならば得意です。AI俳句マシーンなら、100万句とか200万句とかを簡単に作ってしまいます。そして、その中には稀に光るものがあって、人間と比べても遜色ないものや、俳句の専門家からも「面白い」と絶賛されるような良い俳句が出てくるケースもあるんです。

だから、例えばECサイトで扱っている5万件の商品にキャッチコピーを付ける必要があったとして、人間が5万件の商品ひとつひとつに自分の人生観を反映させて《渾身のコピー》を作るのは大変だし、そこまでする必要が本当にあるのかという話にもなるわけですが、AIだったら商品の特徴や素晴らしさなどを過去データから学習して「それっぽいもの」を大量に作ることができます。たくさん作った中から良いコピーを自動的にブラッシュアップしていくような手法であれば、AIは今のレベルでも十分に使えると思います。

 

Q:手法によってはAIの文章力は有効なのですね。そんな状況で、人間はどうしたらいいのでしょうか?

優秀な人は、今後もっともっと優秀にならないといけなくなると思います。

「AIでもできるようなこと」に対して、「人間でなければできないこと」はたくさんあるのですが、人間に求められるレベル感がどんどん上がっていくので、決して楽はできません。「人間ならではのもの」を出せるように頑張って行かないといけないと思います。AIが後ろから猛スピードで追いかけてくるわけですから。

 

Q:「人間ならではの仕事」とは具体的にどのような仕事ですか?

最近の映画に例えるならば、昔だったら人間が一所懸命セルを起こして色を塗って作っていたシーンを、今はCGに置き換えていて一旦データを作れば角度を変えたり色を塗ったりとか全部自動化できるわけです。ものすごく複雑な地形のようなものに至っては、人が作ることには限界がありますが、コンピューターのプログラムをうまく使うと本物の自然と見間違うような複雑な地形でも自動生成することができます。つまり映画制作の部分的なところでは、人がやっているものがコンピューターやAIに置き換わっていく可能性があります。さきほどの計算作業の例と同様ですね。

ところが、部分的な仕事がAIに置き換えられたとしても、「映画を作る」という《全体》が無くなるわけではありません。映画制作には、面白いシナリオを作るとか演出をするなど、AIではそう簡単に置き換えられない仕事が多くあります。人間は、そういうところにもっともっと注力して深めていくべきです。そう考えると、職業自体がなくなることはないのです。

だから、全体的にはAIのおかげで楽になるところもあるのですが、その一方で「人間にしかできない仕事」として求められることのレベル感が高くはなるはずです。さきほど、「優秀な人は、もっともっと優秀にならないといけなくなる」と言ったのはそういうことです。

今までにない《もっとすごいもの》を作ったり、《もっといいこと》をやるということに注力していく社会になっていくのではないかなと思います。そのためにもAIをうまく利用すべきですね。

 


(次回に続く)

次回は、来るべきAI社会に向けてデータサイエンティストに求められる資質についてお聴きします。

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